【インタビュー】田村雅樹「感謝しかない4年間でした」 ~支えてくれた家族に、ありがとう~(12月30日 香川オリーブガイナーズ)

(記事:木村 美香)


2016年8月12日、田村雅樹選手は四国コカ・コーラスタジアム丸亀の先発マウンドに上がった。肩の痛みを抱えながら。
これがガイナーズの選手として最後のマウンドだった。

 

シーズンを終え、香川オリーブガイナーズを退団した田村選手。
「ホッ!としているという感じ。でも、怪我をしていなかったら、まだ野球をやりたかった。長く野球をやりたかったんで、それが出来なくなったのは悔しい。ガイナーズから香川県出身でNPBに行った選手がいなかったので、自分が最初にいって香川県そして小豆島に恩返しをしたかったのに、それもできなかったのは残念です。」
「肩腱板断裂」痛み止めを使用しながらのピッチングだった。9月下旬に肩の手術。現在、神戸の方までリハビリに週2回車で通っている。

 

「草野球をしていた父親が、すごくカッコよかったんです。だから、僕も野球をやろうと思いました。面と向かっては言わないですが…尊敬しています。幼稚園児の田村選手の目に映った父は、テレビに映し出されているどのヒーローよりも「ヒーローの中のヒーロー」だった。お父さんは、小学生のチームではコーチを。そして中学高校では野球部が遠征に行くときのバスの運転手をしてくれた。

大学に進学しても、名古屋の大学まで試合の時には必ず観に来てくれた。もちろん、ガイナーズの試合の時にも小豆島から球場まで。そして先発で投げるときは宇和島まででも駆けつけてくれていた。
そんなお父さんだったから「1年でも長く野球をして、楽しみを増やしてあげたかった。でも、まさか自分でも今年で終わると思っていなかった。」しかし、そう言いながらも田村選手の肩や肘は悲鳴を上げていた。

だましだましやってきた3年間。「だから、オフの時にはしっかりとケアをしてきました。4年間野球を続けられたのは整骨院の森本先生と、栗林にあるカイロプラクティックの先生のおかげです。」整骨院の森本先生には、ずっと肩の痛みのことで相談し、今回の手術をした神戸の病院を紹介してもらったのも、森本先生だった。

 

田村選手が大切にしているもの。それは「縁」。尊敬している父親に言われた。「人との縁を大切にしろ!」と。
野球を続けていく中で、親身になり治療をしてくれた森本先生や小豆島の支援者の方、また球場に足を運び田村選手を応援してくれるファンの方たちなど、どれだけたくさんの人との縁が結ばれ、それが大切で有難かったかと、感謝の気持ちでいっぱいだという。

田村選手個人にもたくさん付いてくれていたスポンサーの方たちには「感謝しかありません。」そして、応援してくれたファンのみなさんへの一言は、「4年間応援してくれもらっていたのに怪我をして夢半ばで断念しなくてはいけなくなって申し訳ない気持ちでいっぱい。でも次のステップに向かってがんばっているので応援してください。」ガイナーズに入団して良かったことは、「人と触れ合う事で人との接し方を学んだ事です。人間的に成長させてもらいました。」

地元香川県出身ということで、いろいろなところに行き、人と触れ合い言葉を交わす中で様々な事を学んだと言う。その学びを今後、次のステップに活かしていきたい!と頑張っている。
今、これと言って決まったことがあるわけではないが、大型免許を取るために教習所に通い、トラックに乗っている。「ただ、子供の時からトラックが好きだったんです。ミニカーとかも洗濯籠いっぱい持ってて。」不自由な右手で大きく重いハンドルを握り、教習を受けている。トラック好きなのは、自営をしているお父さんのお仕事の影響なのかもしれない。

 

田村選手の基本は「家族」。
「ここまで野球をやってこられたのは、この家族だったから。最高の家族だと思っています。家族で野球をやってきた。」という彼の目にはうっすらと涙が浮かぶ。父、母、姉2人の5人家族。自分が野球をするために、みんながずっとサポートしてくれた。小豆島から高松の野球塾に通っている時、短大生だったお姉さんは、家に泊まらせ毎日ユニフォームを洗濯物してくれた。
今、結婚して横浜に住んでいる姉夫婦は、横浜の病院に行った時には泊めてくれる。

小学生の時から、両親は毎試合観に来てくれた。野球を辞めるといった時、お母さんは「腱板を繋ぎとめるんは医者の仕事やけど、自分の気持ちを繋ぎとめるのはいつでも自分。」っと、言ってくれた。

やんちゃだった子供時代。野球だけしか眼中になかった学生時代。そんな田村選手を温かく包み込んでくれた、大好きな家族。
田村選手の1つ夢は、大好きなゴルフを父と義理の兄2人そして自分の4人で行くこと。今は、ゴルフが出来ないが、その日のために、一日も早く怪我を治し、ゴルフだけでなく、再びマウンドに上がれるよう日々、田村選手は頑張っている。「マウンドに上がってボールを投げている姿を、将来自分の子供にみてもらいたい。だから本当は、ずっと野球を続けていたかったんです。」
幼稚園児の時、「カッコいい」と思った父親の姿に、未来の自分の姿を重ねているのかもしれない。将来、彼の子供がキラキラとした瞳で「お父さん、カッコいい」と思いながら、夢を追う日が来るに違いない。

そう、信じている。

 

田村雅樹 26歳・・・次のステップへの挑戦は、始まったばかり。

家族に見守られながら、自分の新たな道を歩んでいく。

今、この時から…。

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