【インタビュー】伊藤秀範「今だから、語ろう。」≪香川OG退団インタビュー・後篇≫(11月30日 香川オリーブガイナーズ)

(写真は2015年前期優勝胴上げ)
話も中盤に差し掛かり、思い出の選手の話からドラフト指名を受けた選手の上へあがったポイントや痛めた時の持論など、話は尽きない。予定時間を超えても次から次とエピソードが出てくる。
それほど、初コーチとして過ごした5年半は密度の濃いモノだったのだろう。
そして、最後に皆さんへの言葉を預かった。

―印象にのこっている選手は?
印象に残った選手なんて一杯いますよ。みんな残ってます。敢えて分かりやすい選手といえば又吉ですかね。自分でやる選手なんで。それで質問をすごいぶつけてくる選手だったんで。合わなかったときは「合わないんですけれど」って、研究熱心ですね。ちゃんと自分を高めたんで。
細かいところで怒ると次の日にはしっかりできてくる、賢い、そういう選手でしたね。呑み込みが良かったし、うまく伸びてくれましたね。大学でいいコーチと会って基礎ができていて、うちへ来てさらに伸びてくれて。ウチへきたのもコーチとかかわりがあって「社会人(就職が)なかったらウチで」って。その時は140キロ出てなかったんですけれどもう、バランスが違う。竹田の方がスピードは出てましたけれども素質の差みたいなものはありましたよね。
寺田は、うーん、頑固だったですね。自分でこうだと決めたら変えない子。もう少し柔軟でもとは思ったんですけれど。(独立リーグで)時間が掛かったのはそれも影響あったと思う。
松本もすごかったですね。投手10か月でプロへいきましたからね、今考えるとすごい。練習に来た時にフォームを触って腕を早く振らせたらいいボールが来て。それで監督に見せたら取るぞと(笑)。それまで全然(どんな選手か)知らなかった。
(篠原)慎平も話があって。ガイナーズに帰ってきて僕も肩を痛めていて、慎平も肩を痛めていて。豊中のレフトに長い階段があるんですけれど、そこで走っていたらはぎさん(愛媛コーチ萩原 淳氏当時は投手コーチ)から「お前も一緒に走らせてもらえ」って言われたらしくて一緒に走ったのが出会い。で、コーチになった時、小林憲(幸・2015年愛媛引退)から面倒見てもらいたいって言われもして、自由契約になった篠原がトライアウトに受けに来て。フォームを崩してたから「いじくるぞ」っていって変えさせて、そしたら141か2か出て、それで練習生で取りました。監督はいらなかったんですけれど、(そういう流れもあって)お願いしますってこさせたんで。彼もいい方向へうごいたかなと。
1年目はこわごわ投げてたんですよね。2年目の2月に「まだ痛いの?」って聞いたら「大丈夫です」っていうから、「じゃあ(肩を後ろに)しっかり引っ張って投げろ」って言ったら、3月の終わりぐらいに150キロくらい出て、おぉと。試合でしっかり腕振れたらそっからは筋力はついてくるんで。それでそのまま(NPBへ)行きましたね。不安っちゃ不安なんですよね、肩痛めた投手って。僕も痛めてたんですけれど。まあ、もう治ったんですけれどね(笑)。治るんですよ。バッピ(バッティングピッチャー)やりすぎて。僕、証明しちゃいました。
痛かったら投げないんじゃなくて投げろと(笑)。まあ、荒療治なんですけれども。
怖がってトレーニングしないんじゃなくて、投げる動作で筋力をつけないと良くならない。痛んだら鍛えて直すって考え方もあるんじゃないかと思うようになりましたね。バッピって全力で投げないんで、細かい筋肉をすごく使うんです。いかに筋肉をしっかり使って投げるかっていうのが上手くなる。僕、1日400球くらい投げてましたから。(コーチは)痛いとか言ってられないですし、そうなりますよね。
後藤なんかも印象に残ってますねぇ。最初上手投げで入ってきて、横で投げてみたらどうだ、って。トルネードにして。一時期はすごかった、140ちょっと出てスライダーも曲がって。NPBからもいっぱい見に来て。でも、(バッターに)当てるのを怖がるようになっちゃって。最後にチャンスを潰しちゃいましたね、もったいなかったね。
ネイラーはなんもしなくてよかったっていう思いがありますね。ちょっと崩れた時に微調整するだけで良かった。話によく耳を傾けますしね。僕が見たなかでは、外国人いっぱいいたんですけれど、アメリカ人じゃない選手の方が素直だしハングリーでしたよね。ネイラーはオーストラリアでマエストリはイタリアでしょ?彼らはなんでも吸収してやろうというところがすごいハングリーだったし、だから成功したんでしょうね。アメリカ人はアドバイスがスっと入って行かないんですよね。本当より大きく見せようというか、野球の国のプライドというか。「俺はこうなんだ」という口が先行しちゃうのは大体上手くいかないですね。
他にも田村とか、酒井とかもいいやつだった。いや、キリがないです、本当に。

―最初の2年、返ってきて7年、香川はどうだった。
レクザムの方がすごいよくしてくれて。最初の年とか何も言わないのに僕仕様の(硬めの)マウンドにしてくれていたりとか。イイ人もたくさん知りあえて。かえって来てからも迎えてくれたところでありますし。好きな場所に、いや好きというか慣れた街ですよね。

―最後に言っておきたいことは。
選手時代も、コーチになってからも教え子をかわいがってくださった方はたくさんいましたし、皆さんにお礼は言いたりないですけれど。
昔来てくれていた人たちはなんかのきっかけでまた野球場へ来てもらいたいですね。伊藤と比べてどうだでもいいですし、来てくれないと歴史がつづいていかないというか、僕がいたころのガイナーズを語って今のファンと話してもらいたいというか。お見送りの時に、昔の誰それと比べてコントロールがどうだ、勢いがどうだって若い選手たちに語ってほしいと思うんですよね。
僕はいなくなりますが、引き続きガイナーズを応援してください、ってところでしょうか。それが一番有難いですね。
選手でNPB行かせてもらったし、すごい喜んでくれた人が居ましたし、帰ってきても思うようなピッチングができませんでしたが、コーチとして第2の途を見つけさせてもらった場所でもあるし。
いうことって感謝しかないんですよね。野球に関わって生きていくことができるのであれば、それを生かして伊藤の教え子なんだって選手が出てきて知ってもらえるようになればそれが恩返しの一つかもしれないなって。

【インタビュー】伊藤秀範「今だから、語ろう。」≪香川OG退団インタビュー・前篇≫(11月28日 香川オリーブガイナーズ)

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伊藤 秀範(いとう ひでのり)
1982年8月22日 34歳
神奈川県出身 駒場学園高等学校卒
球歴:駒場学園高等学校→ホンダ→香川オリーブガイナーズ(2005-06)→東京ヤクルトスワローズ→新潟アルビレックスBC→香川オリーブガイナーズ(2010-11)
 【コーチ】香川オリーブガイナーズ2011-2016

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