【インタビュー】去りてなお念は残る~カマタマーレ讃岐前監督・北野 誠 氏インタビュー(1月10日 カマタマーレ讃岐)

2019年、5年間を過ごしたJ2を離れ、上村 健一新監督の下で「明治安田生命J3リーグ」で闘うことになったカマタマーレ讃岐。2019年は明治安田生命J2リーグへ1年で戻ることが必須と謳ってのシーズンとなる。
4SPOで話を聞くのは四国リーグからJFL・J2へカマタマーレ讃岐を導き、9年間チームの指揮を執った北野 誠・前監督。それぞれ昇格時に魅せてきた類まれなる勝負勘と強運はこの舞台では「J2残留」のみに注がれ擦り減ってしまった。
J3という過去戦ったことのないリーグを勝ち上がろうというカマタマーレ讃岐にとって「必要だったもの、これから必要なもの」が語られる。 
<聴き手:寺下 友徳・インタビュー日:2018年11月14日>

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「1つのチームになっていなった」2018

 2018年シーズンはシーズン前、オフィシャルイヤーブックのインタビューでも話したように「ポジショナルサッカー」を掲げて戦おうとしたんですが、第33節・アウェイでの東京ヴェルディ戦が最も象徴的だったように、自分たちがボールを握れた時間に失点してしまう。スローインでも相手陣地内からのスローインから点を取られる。そしてそこから「取り返す」というのがなかったです。取り返せずにズルズル、ズルズル悪くなる。で、点を取れぬままでした。

かつ、42試合のうち10試合は「これはどうしようもないな」という敗戦はあったんですが、残りの30試合はどっちつかずだった。「先に点を取れていたら」とか「ここで決めていたら」とか。それくらい2018年のJ2リーグは均衡していたと思うんです。だから、言い方は悪いですが「安い失点」、防げるような失点をして立ち直れない。というのが2018年シーズンでしたね。

決して強いチームではなかったけど、弱いチームでもなかった。だから順位としては20位以内には入れたとは思います。正直に言えば。ボールが握れたり、(相手を)崩せたケースは、J2に昇格して5年間のうちで一番あったと思うんですが、負けることによってシュートが少なくなり、悪い方向にどんどん行って、歯車が最後まで噛み合いませんでした。

「点を取るための最後の崩し」もシーズン前から課題としてあげていましたが、シーズン当初は手数をかけすぎて、奪われてカウンターを食らうケースが多かった。そこで「手数をかけなくていいよ」という話をしたんですが、その中でも「(ペナルティーエリアの)中に人数をかけろ」というところでかけられず、単調な攻めになってしまった。うまく伝えられなかった部分があります。

 加えてもこれまでウチのよさとしてあったシーズン最終盤での「防げる失点を防げていた点も達成できなかった。だからカマタマーレ讃岐から移籍した選手がいるチームと試合をした後、彼らと話をした時にも何人かの選手から言われたんです。「どうしたんですか。粘りというものがなくなったんですか?」って。「彼らはウチを見てそういう風に見えていたんだな。1つのチームになっていなかったんだな」と思いました。

 

「1つにさせてやれなかった」残念さ

  チームが1つになれなかった要因は……「バラバラに」なっちゃいました。選手もそう。スタッフもそう。1つにさせてやれなかったかな、というのはあります。そこが俺のすごく甘いところだったと思うんです。

チームの中で好き嫌い、チームメイトの中での好き嫌いは当然あると思うんですが、そこを自分の中で汲んでやれなかった。それができていたらひょっとしたら結果は変わったかもしれないし。「なだめながらやっていた」というのが正直あります。

スタッフもそうでした。負けが込んでくると「俺だったらこう」というのが出てきてバラバラになってしまったのがありました。9月くらいからこれが目立ってきた。夏くらいまでなかなか勝てず「もう1回1つになろうよ」という話になった時にまとまりきれなかった。「なんでそうなるのか」と思ったんですが、そういった部分が出てきていたと思います。

それでも「最後までみんなでやろう」ということで我慢してやった結果が、この順位(J2・22チーム中22位でJ3自動降格)になってしまったということです。

正直に言えば、俺の(就任期間が)長くなりすぎて(9年間)、選手やスタッフに対して「ピッチ内だけしっかりやってくれればいい」という方針を採っていたことによって、みんなが勘違いしてしまったと思う。それでチーム内が難しくなった。「もっときっちり言えばよかった」と思うんですよ。俺は言わない性格。ピッチの中では言うけど、ピッチを出たらほとんど言わない。「ピッチ外の部分をケアするのが他のスタッフ」と考えていたんです。

でも、そこが欠けていた。シーズンが終わろうとしている時にそれが判った。全然別の方向を向いていたというのがあります。「残念」ですよ。たとえば対戦相手の分析1つとってもみんなは家族をもっているから、家族のいない分析担当の片岡(裕太)として僕はコミュニケーションを取れていなかった。これは大きな反省点です。

これがウチにクラブハウスがあって分析用の部屋があれば、みんなで練習を終えた後「これから分析をやろうか」となるんですが、実際にはそういう場所がないので「1回帰宅して、メシを食ってからやろう」となる。そうすると家族がいる。僕は単身赴任だからこそ、そこは気を遣っちゃうし「この時間から出てこい」とは言えなかったんです。

だから「もっとしっかりやっておけばよかった」と。2018年シーズンが終わって思いますよね。

 

監督退任表明後の出来事と2019年への「心配」

 僕はJ2に昇格して以降、ずっと「このクラブをJ3に落としてはいけない」と言い続けていました。だから(第31節・ヴァンフォーレ)甲府戦に負けた後「これは責任を取らなくてはいけないな」と思ったので、香川に帰ってきた翌日の火曜日(10月30日)に伝えて、FC町田ゼルビア戦の水曜日を挟んで、もう一度話した時に「わかりました」となりました。

僕は2017年シーズンで辞めとくべきだったんですよ。正直今思えばね。そうなれば成績だけでなく、クラブとして変わったと思います。結局、2018年シーズンも監督をやったことで何も変わらず、むしろ2017年よりも悪くなってしまった。「ひどいなあ」と思いながら辞めていくのがすごく「残念」です。

ただ、残念は残念ですけど、これは2017年まで「J2残留」「J2残留」を繰り返していたから変わらなかった部分でもあるんです。もし2018年もカマタマーレ讃岐がJ2で19位・20位をウロウロしていたら、何も変わらなかったと思うんです。僕がいる限り。ですから僕が監督を辞めることによって、これからよくなる可能性もあると思います。

でも、それを僕が「クラブの外から」見なければいけないのも残念ですね。

それともう1つ、僕の力不足を感じたのはうまく香川県にサッカー文化を根付かせられなかったことなんです。

昨年11月のある日、東部運動公園を散歩しているおじいちゃんに言われたんですよ。「頑張らんかったら、サッカー熱が冷めるぞ」って。その時僕がふと思ったのは「俺はサッカー熱じゃなくて、サッカーというスポーツの文化を作りたいと最初から言っていたのに。今でも『サッカー熱、野球熱』というものになっている。俺は全くできていなかったんだなあ」ということ。一時的なものでなく「文化」を作りたかったのに、それができていない。

スポーツ文化の中の香川オリーブガイナーズ(四国アイランドリーグplus)であり、香川ファイブアローズ(Bリーグ)、香川アイスフェローズ(Jアイスウエスト)。生涯スポーツの中でのカマタマーレ讃岐でありたかったんですが、サッカーはサッカー、野球は野球。バスケットはバスケット、アイスホッケーはアイスホッケーと全く変わっていない。ということもすごく「残念」なんです。

ただ、しんどかったばかりだけど僕は9年間やってきた誇りはあります。それがうまくいったかどうかは解らないけれど、自己評価としてはよくやってきたし、できたと思います。正直、突っ走りすぎましたけどねえ……。そしてガイナーレ鳥取に勝って「これで変わる」と思ったけど、何も変わらなかったですよね……。それがクラブのせいなのか、チームのせいなのか判りませんけど……。全てがよくなかたんでしょうね。

 

 

 

なんか、長かったけど、何も変わらなかったですよね。ある日の練習場に子どものサポーターが来ていたんです。聞いたら「7歳」。ということは僕はこの子が生まれる前から監督をしていたわけです。そう考えると僕の子どもも、もう成人になっていますが、成長する時期に長い間単身赴任してやってきたわけじゃないですか。なのに変えられなかったのは「つらいなあ」と。

でも、長すぎたんですよね。本当に。2017年に、ないしはJ2で2年目ないし3年目が終わった時に(監督を)辞めておけば。区切りを付けるべきだったんだと思います。

僕は戦国武将で言うと石田 三成が好きなんですが、クラブと契約した以上忠義を尽くすのは義務だと思っていました。だから「会社のため、クラブのため」という意識はずっと持っていたんですけど。、僕がいるからこそクラブは成長しなかった。「また来年も北野さんがやってくれるだろう」となって、「北野さんの関係で選手を採ってきてくれるだろう」とか。僕のためにもならなかったし、クラブのためにもならなかったんですよ。本当に「不幸な別れ方」というよりも「残念な別れ方」です。

 

 

これからですか?この9年間で香川県のいろいろな方にお世話になったので、しばらくはそういう方へのあいさつになると思います。9年間はみなさんにお世話になりっぱなしだったから、なかなかすぐに帰れないかもしれないですね。

 

 

 話を聴いた2018年11月当時は「2018年末には引っ越し」と言ってた北野・前監督。だが、案の定あいさつはずれ込み、香川県を去るのは随分とあととなった。しかし、たとえ故郷を離れたとしても、残念の「残」がそのまま、「念」が「魂」に変わり、それがカマタマーレ讃岐のチームカラーとなり続けることは、誰もが動かしようのない事実。そしてその魂が香川県の根底にある限り、北野 誠氏が望んでいた「香川県スポーツ文化」の種は、いつの日か根を張り、芽を出し、花を咲かせてくれることだろう。

2013年J2 ・JFL入れ替え戦第1戦での北野 誠監督(左)と上村 健一コーチ(右)

2013年J2・JFL入れ替え戦第2戦でJ2昇格を決め、胴上げされる北野 誠監督

2014年J2・J3入れ替え戦でJ2残留決定。インタビューで思わず笑顔の北野 誠監督

2014年鹿児島キャンプ中、選手たちを叱咤激励する北野 誠監督

2015年10月練習中の北野 誠監督

2015年熊本キャンプの練習試合で話をする北野 誠監督

2016年PSM鹿島戦での右から北野 誠監督、上村 健一コーチ、西村 俊寛コーチ

2016年新加入選手会見での北野 誠監督(中央)

2017年夏の練習場での北野 誠監督

2018J2最終戦後、家族から花束を贈られた北野 誠監督

2018年・ホーム愛媛戦での北野 誠監督

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