【インタビュー】木島良輔「目の前の敵を抜こうとしか考えていなかった」カマタマーレ讃岐ラストインタビュー~後編~(2月5日 カマタマーレ讃岐)

様々なチーム、そしてカマタマーレ讃岐で貫いた「ワクワクさせる」プレー

インタビュー前半↓

【インタビュー】木島良輔「マツくん相手に鍛えたドリブルで」カマタマーレ讃岐ラストインタビュー~前編~

そんなマリノス時代に城さんから言われていたのは「お前はうまいけど、簡単にパスを出すな」。これがなかなか直らなかった。「相手を抜いて満足」みたいな。そして帰りの車の中でも城さんから「お前、なんでシュート撃たないんだ」となる。

そもそもマリノスではサイドアタッカーが主。抜いてもアシストにならない(笑)。そして城さんと2トップを組むことがあっても城さんにラストパスを出したくて仕方がなかったからね。結果を求める感覚がなかったんだよ。そして、あの時のメンバーは井原(正巳・現J1柏レイソルコーチ)さんとかはじめ、みんな代表クラス。その中で試合に出ていることに満足していた。

そのうち試合に出られなくなって、調子に乗って2002年の途中で「クラブを出たい」と言って。そこが苦労の始まりだったね(苦笑)

そして大分トリニータで2004年、俺はFWになってリーグ戦でも初ゴールを奪ったんだけど、ここにはバルセロナ(スペイン)にも所属していたリチャード・ビチュヘという左利きのMFがいた。彼が「俺が持ったら動き出せ。お前しか見ていないから」と言ってくれるのが嬉しくて、点を取るこだわりを知り始めた。

でも、ちょっと遅かったね。そこに気付くのが。そもそも俺はシュートがうまくなかったし、撃つときにも緊張していた。マリノス時代も(川口)能活さん(現:U-19日本代表GKコーチ)相手にシュート練習しても入らない。強さはなんでもいいからコースを付くことを覚え始めたのはこのころからかな。

2006・2007年にいた東京ヴェルディでは大けがに苦しんだね。でも俺はそれまで肉離れすらしたことがなかったので、前十字靭帯断裂した時は「何としても戻ろう」と思った。そしてヴェルディにも感謝している。2006年限りで一度契約満了になっても練習場は使わせてくれたし、日テレベレーザでも「いいから普通にやれ」松田 (岳夫・現J3・福島ユナイテッドFC監督)さんに言われて紅白戦にも出ていた。澤 (穂希)とか、川上(直子)さん、永里姉妹とかとも一緒にプレーしていたし、ユースの合宿にも泊まり込みで行っていたなあ。

さらに当時、ヴェルディと提携していた明治大の練習にも参加したことがある。そこには長友 佑都(日本代表・現:ガルダサライ)もいたはず。そうやって人脈を拡げられたことが今につながっているよね。

点を取ることに本当にどん欲になったことは2008年・ロアッソ熊本に行ってから。北野(誠・現:ノジマステラ神奈川相模原監督)さんとの出会いもそのころだねえ。町田ゼルビアを経て、2011年、松本山雅FCでJFLからJ2に上がる時もいろいろあった。最初はマツくんと2人でワーワー言ってきたんだけど、途中でマツくんがいなくなって、マツくんの熱い想いを引き継ぐ方を俺は選んだ。だから弟(木島 徹也)と一緒で退場も多かったんだけで「マツくんのために、このチームのために」必死にやっていた。

そして東京ヴェルディでの半年間を経て2013年にカマタマーレ讃岐へ。四国に来るなんて思いもよらなかったけど、途中から組んだ(高橋)泰(現:ロアッソ熊本ジュニアユース監督)との2トップはJFL無敵だったね。本当に助けてもらった。それだけに泰が先にチームを去ることになったのは申し訳なかったと思っている。帝京の1学年下だし、ロアッソ熊本でも一緒にプレーしていたしね。

来てはじめて思ったけど、この街はみんな謙虚だし気さく。6年間、このクラブで一番長くプレーできたことはやはり縁があったと思うよ。

「ワクワクさせるプレー、ありがとうございました」と引退した時、いろいろな人に言われた。手紙ももらった。別に俺的にはやっていることを変えたつもりはないんだけど、それがよかったのかな。

 

木島良輔「ドリブル論」、そして「これから」

「ドリブルで仕掛ける」って身体に来るダメージはすごい。「体力ないよね」という人がいるけど「じゃあ、ドリブルで何回も仕掛けてみろよ」って思う。100%でドリブルを仕掛ける時、実は無呼吸でやっているんだよ。俺はボールをもらったら目の前の敵を抜こうとしか考えていなかった、抜けばチャンスになるし。そこであえて後ろを向いて、相手の気が抜けた瞬間に仕掛けたり、上体が浮き上がった瞬間に仕掛けたり。これで相手をあざ笑うことを楽しみにプレーしていた。

一般常識的にみたら「ダマす」って悪いこと。でもサッカーはダマすことが必要。俺は「1人で全員抜ける」と思っていた小学校時代からサッカーで相手を抜くことだけを考えていたら、こういう感じになった。帝京やマリノスでウイングバックをやっていても「1人抜いてクロスを上げないと面白くない」。もし結果的に抜かない選択をしたとしても「仕掛けるそぶり」をすることも大事にしてたね。

 

俺のこれからは迷ってます。ここ最近は1年ずつ「来季があるのかな」と思いながらプレーするのはしんどかったけど、指導者になってもその立場は同じ。A級ライセンスまでは取得したけどしんどいのは変わらないと思う。でも、サッカーにはかかわりたい想いはある。葛藤しています。もう12月には大分と熊本へあいさつに行ったけど、実際には1月までにいろいろなところに挨拶をしてから考えていくことになるかな。

でももし指導者になるんだったら、俺みたいな問題児を更生させるような指導者になりたい。たとえばストライカーに対しては「お前ら!解るけど、もう少し落ち着こうぜ。俺も人のこと言えないけどよ。イエローや退場して、その間に得点王争いで抜かれたら、スカウトがそう評価して損するから!」みたいな。そんな大人になりたい。俺もそう言われたかったから。

 

香川県の人たちは熱量を外へ発信するのが少し苦手なような気がするけど、カマタマーレ讃岐がJFLからJ2に昇格した時のサッカー熱は驚いたし、2015年のホーム開幕戦・ジュビロ磐田戦で1万人が集まった時はびっくりしたよ。

カマタマーレ讃岐には目標は高く持ってほしい。ビッグクラブにはなれないかもしれないけど、J1なら目指せると思う。俺が現役のうちにそのワードを出せるようにしたかったけど、うまくいかなかった。

みんなにはウイイレをやっているような気持ちになってもらって、世界で一番のスポーツであるサッカーを応援してほしいし、子どもたちにも「カマタマーレ讃岐でサッカーをしたい、目指したい」という環境を作ってほしい。選手側はそう思ってもらうプレーをしてほしいし、俺が指導者をする場合はそこに戻ってくる可能性も0ではないんで。

そういや香川県を盛り上げる企画が動いているらしい。なかなか難しい部分もあるけど、俺も選手の立場では頼みづらいところもあるし……。2020年は「新屋島水族館」がある?よしよし、家族の遊び場所もあるね(笑)まあ「こうご期待」ということにしといてください!

(文:寺下友徳)

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